
こんにちは!「となりは中国人。」の僕です。
中国出身の妻と結婚し、日本での新生活をスタートさせてから10年。 初めて彼女が日本の土を踏んだ成田空港での出来事を、僕は今でも鮮明に覚えています。
「わあ、日本は空気が綺麗だね!」とか「富士山が見えるかな?」といった、いわゆる『観光客らしい』言葉を期待していた僕に、彼女が放った第一声は、予想だにしないものでした。
「ねえ、なんで日本の駅は、あんなにみんな同じ方向に、同じスピードで歩いているの? 少し怖いんだけど……」
僕にとっては当たり前の「駅のラッシュ」が、彼女の目には何かの儀式か、あるいは精巧なロボットの行進のように映ったのです。それから10年。わが家では、僕が当たり前だと思っている「日本の日常」に対して、妻から鋭いツッコミが入るのが日常茶銘事となりました。
今回は、妻が日本で暮らし始めて絶句した「日本の不思議」を、厳選して5つお届けします。
生卵を食べるのは「選ばれし勇者」の仕業?
日本の食卓に欠かせない「卵かけご飯(TKG)」。炊き立ての白米に、とろりとした生卵と醤油。僕にとっては至福の朝食ですが、初めてこれを見た妻の表情は、まるで僕が未知の毒物を口にしようとしているかのような戦慄に満ちていました。
「信じられない……。生で卵を食べるなんて、お腹を壊すのが怖くないの?」
中国では(そして世界の多くの国では)、卵は「しっかり火を通すもの」という認識が鉄則です。生食ができるのは、日本の徹底した洗浄と殺菌、そして賞味期限管理という執念のような衛生管理があってこそ。

10年経った今では、彼女も「日本の卵は特別だね!」と理解していますが、それでも、あの時僕に向けられた「この人は勇者か?それとも、無謀な冒険家か?」という視線は忘れられません。
夏でも冬でも「氷入りの水」が出てくる修行
日本の飲食店に入ると、席に着くなり差し出される「氷たっぷりの冷たい水」。 これは日本流のおもてなしですが、中医学(中国の伝統医学)の考えが根付いている妻からすると、これはもはや「修行」か「嫌がらせ」に見えたそうです。
中国では「体を冷やさない」ことが健康の基本。どんなに暑い夏の日でも、「温かい白湯(さゆ)」や「常温の飲み物」を摂るのが普通です。
「お腹を冷やすのは万病の元だよ! 」
「日本人はなぜ自分から体温を下げようとするの?」

冬の寒い日に、キンキンに冷えた氷水が運ばれてきたときの彼女の絶望感といったらありません。今ではわが家の外出には、季節を問わず「温かいお茶が入ったマイボトル」が欠かせないアイテムになっています。
街中にゴミ箱がないのに、道が綺麗すぎるミステリー
「ゴミ箱はどこ? 捨てたいのに、どこにもない!」 日本に来たばかりの頃、妻はよく外出先でゴミを握りしめたまま途方に暮れていました。
かつての中国(最近は変わってきましたが)では、街の至る所にゴミ箱があるのが当たり前でした。それなのに、日本の街角にはほとんどゴミ箱が見当たりません。それなのに、道路には吸い殻一つ、空き缶一つ落ちていない・・・・・・。
「日本人は、ゴミをポケットに入れて持ち帰る魔法でも使っているの?」
ゴミ箱を増やすのではなく、一人一人が「持ち帰る」という暗黙の了解で街の美しさを保っている。この「見えないルール」による規律正しさは、彼女にとって日本最大のミステリーの一つだったようです。
電話越しでも頭を下げる「お辞儀のループ」
ある日、僕が仕事の電話をしている様子を見ていた妻が、電話を切った瞬間に爆笑しました。
「なんで誰も見ていないのに、スマホに向かって何度も頭を下げているの? 」
「相手には見えないでしょ!」
確かに、日本人は電話越しでも「申し訳ございません」や「よろしくお願いします」に合わせてペコペコとお辞儀をしてしまいます。僕も無意識のうちに3回は頭を下げていました。
「身体が勝手に動くんだよ」と説明しても、「日本人の礼儀正しさは、もはやOS(基本ソフト)レベルで組み込まれているんだね」と、呆れ半分、感心半分で笑われます。お辞儀をしながら後ずさりして電話を切る姿は、彼女にとって最高のエンターテインメントのようです。
本音が霧に包まれる「建前」と「大丈夫です」
最後にして最大の壁。それが、日本人の「建前」と言葉の裏読みです。
例えば、知人の家で「お茶のおかわりはいかがですか?」と聞かれ、僕が「あ、大丈夫です!」と答える場面。これを見た妻は、後で僕にこう言います。
「本当にいらないの? 」
「それとも、遠慮しているの? どっちなの!」
日本の「大丈夫です!」には、「Yes」、「No」、そして「お構いなく・・・・・・」という複雑なグラデーションが含まれているのです。ストレートに感情を表現する文化で育った彼女にとって、この「空気を読む」という作業は、まるで終わりのないパズルを解いているようなもの。
「日本人の『今度また行きましょう!』は、本当に行きたい時と、挨拶の時があるから油断できない!」
10年経った今でも、彼女はこの「心の霧」に苦戦していますが、最近では逆に僕に対して「それって、建前?」と鋭く切り込んでくるようになりました。
まとめ:「不思議」があるから、毎日は飽きない
妻の視点を通すことで、僕にとっても見慣れたはずの日本が、驚きと発見に満ちた「新しい国」に見えてきます。
「なんで?」と聞かれるたびに、僕は自分が日本人であることを再認識し、同時に彼女の国の文化を学びます。文化の違いは、乗り越えるべき「障害」ではなく、人生を豊かにしてくれる「スパイス」なのかもしれません。
これからもわが家では、「氷水を飲む僕」と、「白湯をすする妻」の、穏やかで不思議な日常が続いていくことでしょう。
